父と行った今までで一番の釣りの思い出【登山渓流釣り】

2024年1月3日

父と行った今までで一番の釣りの思い出【登山渓流釣り】

共働きの両親のもと、日曜日に外出できない少年。趣味の登山に家族を連れ出す父。ある日、父が釣竿を持って行くことを知り、ワクワクしながら登山。途中、巨岩に囲まれた渓流を発見し父が釣りを始める。仕掛けの位置をアドバイスし、ついに魚がかかるが…。帰り道、獲れなかった魚の正体を巡って議論沸騰。これが幼少期の思い出の渓流釣りでした。

今回は、私が今までで一番、記憶に残っている釣りの話をしたいとお思います。
ブログではなく物語として書きましたので、変な表現などもありますが、よろしければ暇つぶしにでも読んでみてください。

釣りだけが希望の光

私が小学生のころ、日曜日は学校は休みだったのですが、両親が共働きだったため、あまり遊びに行けることがありませんでした。

父はもともと本格的な登山家で、子供が生まれてからは登山といっても子供のレベルに合わせた趣味となってしまったようです。

いえ、趣味とは恐ろしいもので、家族で出かけられる貴重な機会がある日は、兄弟3人で遊園地に行きたいと泣いて頼んでも全く聞いてくれない人でした。
登山の荷物を準備する父の姿を見ると、またあの際限のない山道を歩かされるのだろうと思うと心底嫌でした。

しかし、父が釣竿を持って行くときだけは話は別です。釣りをするんだと分かると、未知の山道をいくらでも歩けたものです。朝早くから準備を整え、子供たちには行き先も目的地もまったくの不明のまま家族4人で登山を開始します。

山を登る途中、山菜を採ったり風景を写真に収めたりはするものの、私にはそんなことはほとんど頭になく、イライラさえしています。私にはただただ釣りができるかどうかが気になるばかりでした。

初めての本物の渓流釣り

もう何時間も歩いたか、「もうすぐ釣り場だからな」という父の言葉に、我慢の糸が切れる思いがしました。ここまでたどり着けたのも、釣りへの期待感で飢えた心を何とか満たそうと必死だったからこそ。 疲れも忘れ、足早に歩みを進めます。

やがて、切り立った岩の間を縫うように流れる川が目に飛び込んできました。

「ここかー!!」

一斉に声を上げる3兄弟。しかしその渓流は足場が高く、想像以上に大岩だらけなのです。子供には命の危険すら感じられるくらいです。

「俺が釣るから、お前らはその橋の上から見てろ」と父は静かに釣りの仕掛けを組み立て始めます。

私たちは釣りができない代わりに、父が仕掛けを落とす場所をナビゲートします。「そこはどう?」「次はこっち」
直接は釣りができなくても、ポイントを指示することで感情移入ができるのでこれはこれで楽しい。しかし心の中ではナビゲートとしての責任感もあります。

「本当に魚いるのかな」「もし魚が釣れなかったら…」不安で胸騒ぎがおこります。

私たちは私たちの言葉通りに動いて釣りを続ける父を見守るのみです。しかし、釣れません。

やっぱり、何かの本で読んだ通り、渓流釣りというのは簡単じゃないんだな。と半ばあきらめを感じていたラスト1投、運命の出来事が起きます。

「あそこの岩の影の深いところを狙おう」最後に意見が全員一致します。 父の仕掛けが大岩の下、ゆったりと流れる淵のど真ん中に投入されます。

川の流れる音しか聞こえません。橋の上にいる母と私たち三人の息が詰まるなか、次の瞬間、糸が張り、左右に動き、竿が曲がります。間違いない、これは魚!

「やっときたぞー!」 竿を振り上げる父。安堵の表情で糸を引き寄せると、魚体が見えます。キラキラ輝きながら揺れる魚体。しかし色や柄までは良く見えません。

「よっしゃー!」初めて見る渓流魚に私たちの興奮がマックスになる頃、唐突に竿が元の位置に戻り、糸がたるみます。

絵にかいたような見事なバラシでした。ぽかんとして見つめ合う家族5人。

特に父の申し訳ないような、悔しそうな顔。その日のすべてを失った男のような顔でした。

もちろん、私たちも同じ顔だったのですが。

魚の正体と家族の絆

その後の記憶があまりないのですが、そこから先は帰路につくまで、見えなかったあの魚の正体をめぐって議論が始まります。ヤマメ説、イワナ説と自分の主張ばかりする私たち。

それとは別に、30センチはあった。いやそんなにない。「逃がした魚は大きい」という言葉が私たちのためにあると感じるくらい、釣り人ならではの見栄と記憶の美化がすでに始まっていました。

気が付くといつの間にか自宅に帰り着いていました。

今日採ったばかりの山菜を母が料理してくれました。まったく興味がなかった山菜の天ぷらなどのおいしさは忘れられません。
家族みんなで楽しく会話しながら食べます。この温かさが何よりのごちそうでした。

一番の思い出はずっと胸の中に

今となっては懐かしい小さな釣りの思い出です。何といってもボウズなのですから。なのにこれが、私がいちばん思い出に残っている釣りなんです。

そして意外なことに、仲が良かった友だちにもこの話をしたことがありません。いま思えば、学校では遊園地やデパートの話が大半だったからだろうと思います。

私はそういうところに連れて行ってもらえませんでしたから、話が合わないと思ったのでしょうかね。

しかし、誰に話さなくとも、家族と山奥で味わった初めての釣りの体験と、喜びと悔しさは一生の思い出として、いまもこうしてすぐに取り出せるくらいに、胸の奥にありました。

父にとっては辛い仕事の合間の趣味程度かもしれませんが、私たち子どもにとっては大冒険でしたからね。

あの時の父の顔と家族の顔はきっと一生忘れないと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

悲しい出来事を乗り越えられるような一生モノの思い出を、いつか皆さんも釣りから得られますように。