【小ネタ】バス釣りですか?いえとんでもない、こりゃバス道です

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【小ネタ】バス釣りですか?いえとんでもない、こりゃバス道です

バス釣りというのは奥が深い文化でありスポーツです。日本にも書道・茶道・華道・剣道・柔道など、「道」の付く文化とスポーツがありますが、そこには共通点がありました。

こんにちは!店長の小山です!

本日は小ネタなのですが、日常生活の中でふと思った教訓といいますか、人生観のようなものを語らせていただきたいと思います。バス釣りも上手になる秘訣がありそうなことかもしれません。

暇つぶしに読んでみてくださいね。

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親戚のおじいさん

私の母の父、親戚のおじいさんの17回忌が先日、行われました。

その方は書道の先生で、子供の私に書道を教えてくれた方だったのですが、おかげで私なんかを書道コンクール的なものに入賞できる程度の腕前にしていただけました。

それ以上の恩は特にないのですが、底抜けに明るい性格と破天荒な振る舞いからの書道というギャップがある、まあ変なじいさんでした。

17回忌と言うことでそんな亡き祖父の教えを思い出していたところ、バス釣りと書道には意外な共通点があることに気が付きましたので、そのあたりのことをお話ししたいと思います。

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文化でありスポーツ

バス釣りというのはアメリカの代表的な文化でありスポーツで趣味です。

日本にも、今回の書道と同じように、茶道・華道などの文化、剣道・柔道などのスポーツであり趣味があります。「道」という漢字が共通して入っていますね。

この「道」というのは、言葉のニュアンスでいいますと、ただの趣味の範囲では終わらない、なにか特別な深い意味があるようなイメージがあります。

私はそんな道を極めた人間ではありませんので、あくまでもイメージだけで語ってしまいますが、このような道についてバス釣りに当てはめていくことで、何かバス釣りがもっと上達するような、そんな気がしましたので、ちょっとその共通点のようなものを書き出していこうと思います。

書道とバス釣りの共通点

具体的にどんなことを教えられてきたのか、それをバス釣りにも当てはめて考えてみたいと思います。

準備が大切

書道とは文字を書くだけといえばそうかもしれませんが、その文字を書くにあたって多くの準備が必要になります。筆、紙、墨、すずり、文鎮、下敷き、新聞紙…これらをしっかり揃えないことには、文字を書くことだけならまだしも、良い文字は書けません。

バス釣りも、準備を怠るといい釣りができないことって、ありますよね。

筆にはそれぞれ役目がある

習字の筆には、小筆、中筆、大筆という感じに太さや毛の長さで種類が分かれています。そこからさらに毛の原料、毛質などで細かく分かれていきます。

どんな文字を書きたいかによって筆をそれぞれ使い分けていきます。目的に合った筆を使わないと、思い通りの文字は書けません。

バス釣りも目的に合ったものを使うことで、狙い通りの釣りがしやすくなりますよね。

また、筆には高い者から安いものまで様々ありますが、当然、高いものを使った方が表現力のある文字を書くことができます。ただし、上手な方は安い筆を使っても良い字を書くものですね。

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いい文字は細かい部分が決め手

習字できれいな文字を書こうとするときに気を付けることといいますと、入り、止め、跳ね、払いという、文字の端々にある細かい部分が決め手となります。

ここの細かい部分をしっかりしないと、文字全体がしっくりこない感じになってしまうんですよね。

バス釣りも上手な人ほど、細かい部分にこだわって、大事にしている傾向があると思います。

筆にはしっかり墨を込める

筆を使って書く文字というのには、墨が必要です。

豊かな文字を書くには、筆の芯までしっかりと墨が入っていることが重要で、そこから力加減やスピードを使って文字を表現していきます。

バス釣りも、良いタックルを持っていたとしても、気持ちがこもっていない人にはあまり意味がないんですよね。

芯までバス釣りに染まっていないと意味が理解できない道具や性能というのは、確かにあるのではないかと思います。

最終的には自己満足?

これは書道をバカにしているのではありません。しかし、書道にはしっかりとしたお手本があり、基礎・基本もしっかりとある中で、日本では珍しく個性も尊重されます。

自分が何を書きたいかが一番大事なもので、誰かにほめられたいから、コンクールで入賞したいから書くわけではありません。

自分が良く書けたと思ったらそれでいいという、自己満足に近い考え方があってもいいと思います。

だって、なにやらぐにゃぐにゃとわけのわからない文字ほど、なぜか偉い人に評価されるのも不思議じゃないですか。他人の評価などもう訳が分かりません。気にしなくていいんですよきっと。

先生であるおじいさんに褒められるのは確かに嬉しかったのですが、それよりも、自分がこんなきれいな字を書けるなんて、ということの感動の方が私は大きかったです。

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気付きと学び

書道を習っているわけですから、上手く書けない時は先生が直してくれます。

しかし、その直しも自分が納得していないと、いつまでたっても直らないものなんです。クセみたいなものでもあります。

教えてもらいながら学びつつも、自分の悪いところは自分で気が付かないと、納得しないと上達しない部分がある感じです。

この気付きと学びはバス釣りを上達するのにかなり重要な部分で、真剣に集中して考えながらやっていないと、なかなかできないものですよね。

目的は文字を書くことではない

ということで、ざっと考えてみただけでも意外と書道とバス釣りには通じるものがあるなあと、思ってしまいました。書道をやっている皆さん、間違っていたり失礼に当たりましたら申しわけありません。

それにしても、何かが上達する、上手になるって、難しいものですよね。

最後に、根本的なことがひとつあります。

習字というのは文字を習い、書道というのは文字を書くことですが、それそのものが目的ではありません。最終的には、その文字を使って何をするか、です。

大切な人に綺麗な文字で想いを伝えたり、自分の心の中のものを文字で表現したり、文字が企業のポスターになったり、という風に、誰かに何かを伝えることが本当の目的だったりします。

そのための道があるという感じですかね。

バス釣りも、釣りですからバスそのものを釣ることは目的のひとつなのですが、もしかしたら他にも、バスを釣ることで自分の中に何かが起きることがあるんじゃないかと思うんです。

そのための道をずっと学んでいるような気がします。

繰り返しになりますが、これは私の書道のイメージであり、子供の頃に先生から直接教わったことではありません。私が書道を極めたわけでもありません。

大人になって書道とバス釣りの共通点をこんなところに書くとは思ってもみませんでしたが、今になって書道の先生であるおじいさんに感謝も込めて、書いてみました。いま思えばですが、書道という素晴らしいことを私はしていたんですね。

そしてそんなことに気付かせてくれるバス釣りというのも、アメリカと日本ではこんなに違うのに、素晴らしいものなんだなと思います。

もし今、習字で文字を書いたら、私の文字は当然、子供の頃の文字とはずいぶん違うものになるのではないかと思います。

バス釣りも、時とともに自分の釣りが変わってもまったく構わないと思いますし、どんどん変わっていけばいいと思います。

自分がこれだと思うことをやっていきましょうね。

次の釣りは水面という紙に、どんな文字を表現するのでしょうね。

まあ、きっと水面ではなく、終わった後に「つらかった」と顔に書いてあるだけなのでしょうけどね(笑)

それではまた。

毎度ありがとうございます!

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