【バス釣り】世界記録バスの真実!ジョージ・ペリーと栗田学氏の伝説
こんにちは!店長の小山です!
本日は海外サイトより、”World Record Largemouth Bass George Perry”という記事を引用してご紹介いたします。
引用先:fishingloft.com ”World Record Largemouth Bass George Perry”
皆さんは、毎キャストごとに世界記録のバスを狙って釣りをされていますでしょうか。
「ハハハ…毎キャストで世界記録なんて…何言ってんの」
という風に考えるのが普通ではないかと思います。普通というと良くないかもしれませんが、少なくとも私なんかは、世界記録なんてとても毎キャスト想像してはおりません…。
しかし、世界には毎キャストで世界記録のバスを狙っているというアングラーさんは数多くいます。
本場アメリカではもちろんのこと、ここ日本でも、実際に世界記録のバスが出ていますし、それこそ毎キャストで世界記録を狙っているアングラーさんはいらっしゃいます。
ここ数年、世界記録に迫るものの、ギリギリで届かなかったという報告がアメリカで続いているようですが、記録は破られていません。まさに世界記録とは、唯一のものなんですね。
これまで世界記録に認定されたバスの記録は、1932年までさかのぼります。アメリカの「ジョージ・ペリー」という方が釣り上げたものです。
この記事は、アメリカの淡水魚専門の釣りメディア「fishing loft.com」の記事で、世界記録のブラックバス(ラージマウスバス)について書かれています。
伝説となったジョージ・ペリーの物語を、ぜひ読んでみてください。
また、この記録は2009年に日本の栗田学さんにより、破られました。この時のストーリもあわせてお読みいただければと思います。
ジョージ・ペリーが世界記録のラージマウスバスをキャッチ
ジョージ・ワシントン・ペリーは、ジョージア州テルフェアカントリーの農家に住む20歳の青年でした。 1932年6月2日に、その日の農場は耕すには湿っていて都合が悪かったため、彼とその釣り仲間はちょっと釣りに行こうということでモンゴメリーレイクに出かけました。 そのとき彼は、まさか自分が世界記録のラージマウスバスを釣り、伝説になろうとは夢にも思っていませんでした。
彼はルアーを投げて釣りをしていると、バイトを感じました。 彼はフッキングをすると、かなりの重みを感じました。 彼はその獰猛な魚に何かのカバーに入られたらもう引きずり出すことはできないと思いました。しかしわずかにカバーに入られて引っ掛かってしまい、これはもうだめかと思いましたが、なんとか巨大なラージマウスバスを手繰り寄せることに成功しました… 正真正銘のラージマウスバス、その大きさ、実に 22ポンド、4オンス!(10.092キログラム)
さて、それで彼は何をしたと思いすか? まず、彼はそれをField&Streamマガジン(アメリカの釣り雑誌)のバスコンテストに応募しました。 そしてもちろん、そのコンテストで優勝しました。 彼はロッド、リール、新しいショットガンと賞金75ドル(約8,000円)のセットを受け取りました。
それから彼は魚をリリースしたのでしょうか? いえ。 この時代の農家は深刻な貧困に悩んでおり、食卓には肉を並べたいと常に思っていたのです。そうです。 彼は世界記録のラージマウスバスを食べたのです。
ジョージ・ペリーのタックルと認定
彼がその魚を釣ったタックルは何だったかについては、こう言われています。インタビューを録音したボイスレコーダーによると、彼は自分が持っていた唯一のルアーである「Creek Chub Fintail Shiner(クリークチャブ フィンテールシャイナー)」を使ったと言っています。
ファイト中に引っ掛けてしまったと思った時は、自分の唯一のルアーを失くしてしまったかも、と思ったそうです。彼はTrue Temper(トゥルーテンパー)のロッドとPflueger(フルーガー)のリールをルアーと組み合わせていました。
ジョージ・ペリーのラージマウスバスはField&Stream誌によって認定され、間もなく世界記録のラージマウスバスとして扱われました。
ビル・バーブ氏は、下の写真の認証を手伝ってくれました。写真の中でタバコを吸っている人は、その日一緒にいた彼の釣り仲間(ジャック・ペイジ氏)であると言われています。写真はペリーの親戚から提供されたものです。
そして、世界記録のラージマウスバスと共にジョージは他にも写真を撮ったであろうと考えられています。彼は、クリークチャブ社から報奨金を得ようと考え、そのうちの1枚をクリークチャブ社に送ったと思われます。しかし、そのような写真を受け取ったという話はこれまでにないようです。では、その写真はどこに消えてしまったのでしょうか。なんとか見つけ出されることを期待したいところです。
今も残る ジョージ・ペリーの伝説
その後、ジョージ・ペリーはどうなったのでしょうか? 彼は独学でパイロットの資格を取り、飛行機でのフライトを楽しんでいました。 1974年、彼の飛行機は墜落し、61歳の若さで亡くなってしまいました。 彼は亡くなりましたが、私たちに素晴らしい伝説を残し、ずっとラージマウスバスの世界記録保持者として君臨して行くこととなりました。
栗田学さんの世界記録のラージマウスバス
ここで、日本で生まれ物議を醸しだした栗田学さんの世界記録のバスについても書いておきたいと思います。この記録は確かに議論を呼んだのですが、現在は正式に決着しています。
2009年7月2日木曜日、当時32歳の栗田学さんは、琵琶湖へバス釣りに出掛けました。
タックルは、ロッドにdeps・サイドワインダー/ドムドライバーフリッピングエディション、ラインは東レ・スーパーハードストロング25ポンドに、FINAのパワーフィネスベイトフックの5/0に生きたブルーギルを掛けたものです。
その第1投目を投げ、数回トゥイッチングするとビッグバスが食いました。わずか1投で、世界記録となるであろうモンスターバスをキャッチしたということになります。
上がってきたバスは22ポンド4.97オンスということでした。しかし規定では2オンス以上の差がないと新記録とはみなされないため、残念ながら世界記録タイとして認定されました。
なぜこのバスが物議を呼んだか
このバスを釣り上げた琵琶湖大橋の下は釣り禁止エリアとなっています。IGFAの規則では、釣り禁止エリアで釣り上げた魚は認められないということだそうです。
しかし栗田さんの船はそのエリアには入っておらず、そのエリアにもキャストしていなかったため、解決しました。
次に、日本ではブラックバスは外来魚であるという点。琵琶湖ではブルーギルとともにリリース禁止の魚種であり、ブルーギルをエサにして水中に入れることはリリースに値しないかということが言われたようですが、栗田さんは遊漁船登録をしていたため、これに当てはまらないということになりました。
最終結果は次の通りとなりました。
- 栗田学 – 10.12キログラム
- ジョージ・ペリー – 10.0924キログラム
IGFA (インターナショナル・ゲームフィッシュ協会)の世界共通ルールによると、栗田さんのバスは世界記録タイということになりましたが、現実は栗田さんの方が大きいバスを釣っています。
紛れもなく、世界一のバスを釣ったんですね。すごいことです…。
色々なメディアの記事を読むと、当時から栗田さんは世界記録を真剣に狙っていたということが書かれていたと思います。
やはり、真剣に狙って行かないと、こういう記録にはたどり着けないのでしょう。真剣に狙っても、たどり着けるわけではないのですけどもね。
ラージマウスバスの世界記録が出た国はアメリカと、この日本しかありませんが、 それから10年が経ち、世界記録はまだ更新されていません。
日本はアメリカほどバスの天敵が多くないということで、世界記録のバスが出やすいとも言われていますが、次はどこのどなたが、記録を作るのでしょうね。
皆さんも世界記録のバスに挑戦されてみてはいかがでしょうか。
それではまた。
毎度ありがとうございます!