バス釣りは自分への挑戦
バス釣りは老若男女に愛され、みんなが学び続けているものですが、私が素晴らしいと思うのは、老若男女の老、つまりベテランさんでも素直に学び続けているという点です。さらに驚くことに、これはアメリカの偉大なバスプロのひとり、リック・クランにも当てはまるのです。
こんにちは!店長の小山です!
本日は海外サイトより、”The Iditarod of fishing”という記事を引用してご紹介いたします。
引用先:bassmaster.com”The Iditarod of fishing”by Rick Clunn|November 4, 2021
日本全国、老若男女に愛されているバスフィッシング。
ひとつのカテゴリーを世代や性別を越えて楽しめるというのはとても貴重な存在で、私たちの好きなバスフィッシングにおいては、かならずしも一緒に釣りをしなくとも、見知らぬ人と想いを共有しやすいものだと思います。
これが一緒に釣りをする人がいればなおのこと、たった1日でも連帯感や絆のようなものは深まり、そこから学べるものも多くなっていきますよね。
特に重要だと思うことのひとつに、最初に老若男女という言葉を使った通り、老、つまりベテラン世代でも学びが続いているという点があります。
これは私の意見ですが、人間、年を重ねるごとに(私がそうなのですが)自我が強くなり、他人の意見に耳を貸せなくなっていきます。
私生活や会社その他の団体生活を通してです。
良くないとは分かっているんですけどね…。
ところが、このバス釣りにおいては、特にこのブログを読んでくださっているベテラン諸兄がたにおかれましては、大変素直といいますか、柔軟な方が多く、学ぶ姿勢を保ってらっしゃいます。
私もずっとそのような気持ちでいたいと皆さんを見習っているのですが、これが私のようなアマチュアだけでなく、バスプロの世界でもそうなのですから、驚くばかりです。
この記事は、アメリカバスマスター公式サイトのコラム記事で、生ける伝説のアングラーのひとり、リック・クラン氏が、バスマスターに寄稿した記事です。
ここで彼の毎年のルーティンのひとつが紹介されているのですが、70代中盤の大先輩の考えや行動とは思えない内容なんです。
ぜひ読んでみてください。
バス釣りは自分への過酷な挑戦
私が全米オープンが開催されるレイクミードへ、なぜわざわざネバダまで25時間もの長距離移動をしてまで行くのかとよく聞かれます。私は1981年に初めてそこのトーナメントに出て以来、25回の釣りをそこでしています。
理由は単純です。それは常に、私のバス釣りのバロメーターとなるためです。そこは私がバス釣りをするために必要なすべての要素をテストできる地なのです。
それは釣りのイディタロッド(アラスカで行われる過酷な長距離の犬ぞりレースのこと)です。初めに訪れたのは真夏で、気温48℃の中、7日間のプラクティスと本番を通して釣りました。最近の2回は涼しくなった秋の試合でしたが、それでも非常にチャレンジングでした。
このダム湖の4つある各セクションにはそれぞれ独自の天気になります。とても暑いところにあるので、暑い時は湖水浴をして涼みます。ある年は、ひとつのクリークに雨が降り、気温が20℃近く下がってしまい、釣り人は逆にお風呂代わりに暖まるために湖水浴をすることもありました。
こんな感じで、多くの方法で自分自身が試されます。ある年は満水状態から48メートルの減水になる可能性もあります。こうなると毎年新しい湖で釣りをするようなもので、バスも動いています。その湖は決して魚影が濃いとは言えず、ビッグバスもあまりいないので、課題は山積みとなります。
レイクミードは巨大で、1つのダム湖が3つから4つの湖でできているようなものです。大きな峡谷のエリアはそれぞれの盆地となり、それぞれが異なる可能性があります。 私は1983年と1986年の2回優勝しましたが、1度目はグランドキャニオンで優勝したバスを釣りました。次の優勝は湖の反対でした。
絶え間ない変化が起きるそのフィールドは、誰にとっても平等な場となり、ロコアングラーが有利になる部分が減りますが、それはまた、心と体、そして魂までも試される場となります。
私はまた、ここがコアングラー(同船者であり審判員としての役割も果たすアングラーで、コアングラー部門で競うトーナメンター)とペアになって釣るという点でもお気に入りです。コアングラーの多くはフィネスフィッシングの使い手で、私が学ぶことができます。彼らが私のバックシートでバスを釣りまくったとしても私は決して恨みません。なぜなら、バスがいま何をしているのか、そして私が何を改善する必要があるのかについて学べるからです。
また、私の家族は、自然の生態系、地質学、美しさを楽しむために出掛けるのが大好きで、私も行きます。ここは地元では体験することの出来ない地形で、湖岸の周りにはオオツノヒツジ、コヨーテの群れ、野生のロバがいます。
たとえば、今年は息子のセージがプラクティスに同船してくれました。
減水により使えるスロープが少なかったのですが、私はロングランして最上流域で釣りたいと思っていました。そこで、釣りをした後、私たちはシャローにパワーポールを刺し、ボートのデッキでひと晩寝て過ごすキャンプをしました。
翌朝、ロバの子供が流砂にハマっているのを見て、セージはそれを助けたいと思ったようです。彼は1時間近くかけて、近くにいた母親ロバのもとへロバの子供を返し、ロバたちは授乳を始めました。
こんなことは絶対に普段では目にすることのできないものです。
ですから、レイクミードでの全米オープンは、困難な状況やここでしか味わえない出来事がもたらされる、私にとって魔法のような場所であります。これは現状の私がどんなアングラーかを確認できる場であり、私の存在のあらゆる部分、つまり頭と体、そして心が試されます。私が高いレベルで維持できていなければ、この湖は容赦なく牙をむいてきます。
勝っても負けても、私は自分に投げかけられた非常に多くの課題を処理できるかどうか、そしてバス釣りへの情熱がまだ健在かどうかを知り、この地を離れることができます。
非常に高いレベルを維持し続けるリック・クランだからこそ、このような記事が書けるのではないかと思うほど壮大なストーリーですよね。
しかしこれは、必ずしも私たちまで同じような条件である必要はありません。
自分なら自分のレベルなりのものがあればそれでいいと思うんです。
例えば、これまで登り下りしていた川の土手がしんどくなってしまったといった体力の変化、海釣りでいつも行く高い防波堤が、昔は怖くなかったのに今は恐怖を感じるといった心の変化、細いラインでフックを結べなくなってしまったという老眼といったピンポイントの変化(笑)
このように、釣りとは日々、自分を試す場となっているのだと思います。
たとえ出来なくなってしまったことが増えたとしても悲観せず、その時は方向性を変え、今の自分にできることをすれば、それは自分の新たな可能性が広がるということになります。
この記事の原文には、テストという単語が多く出てくるのですが、このテスト(試す)というのは学校のテストのように誰かと優劣を決めるための「試す」ではなく、自分自身に新たな可能性を見出す挑戦という意味の「試す」だと私は解釈し、翻訳しています。
70代のリッククランが若い世代のアングラーから学ぶために25時間もかけて移動してまで試合をするというのですから、挑戦と学びがいかに大事な事かはよく分かりますよね。
自分はまだまだ低いレベルでの挑戦となりますが、釣りをすることでしか味わえない日常を楽しみ、自分自身を成長させていこうと思います。
勝手ながら、ここまで読んでいただいたみなさんもきっと同じ気持ちの仲間のはずだと、非常に心強く思います!
それではまた。
毎度ありがとうございます!