水面がもたらした希望

2023年11月12日

水面がもたらした希望

Photo by ”pixabay.com”

私たち釣り人にとって釣りとは、自分自身が思っている以上に日常生活において重要な役割になっているのかもしれません。そのひとつにメンタルケアがあります。釣りからは癒しと人生の教訓が与えられます。

こんにちは!店長の小山です。

本日は海外サイトより”The Secret Hope of Water”という記事を引用してご紹介いたします。

引用先

皆さまにとっての釣りには、魚を釣るという楽しい行為そのもののほかに、様々な側面があるのではないでしょうか。

釣った魚を食べるというのは側面なのか、本質なのか、ここではちょっと難しいとして(笑)、私の中で大きいのが癒しで、日々の生活のストレスを釣りがリセットしてくれるという役割があります。

釣りをしている時の時間の進み方というのは本当に早く、さっき出船したばかりなのにもう帰着時間になっている感覚がもう数十年も変わりません。

あれ、なんなんですかね(笑)

しかし家に帰るとたしかに疲れがあり、その夜はぐっすり眠ってまた翌日からがんばる。そんな感じです。

おそらくですが、このブログをご覧の皆さまはそんな感覚で同じように過ごしている方は多いのではないでしょうか。

そんな皆さんのお話しを聞いてみたいところですが、世界中を見ればさらに多くの仲間たちが多様な経験をしているようです。

この記事は、アメリカのバス釣り専門ブログサイト「bassresource.com」のコラム記事で、Beth Lahaieによって書かれたPond Boss Magazineに掲載された同タイトルの記事を紹介しています。

記事によると彼は水面を通してある人生の教訓を得たそうです。

ベス・ラハイエ氏にとっての教訓とはなんだったのか、ぜひ読んでみてください。

 気になるところだけ読んでもOKです 

水面がもたらした希望

Fish’s senses

どんな家庭にも不幸や混乱の時期というものがあり、私は16歳の夏にそうなりました。 騒動や混乱の状況は家庭によって違いはありますが、私たちの場合母が健康上の問題によって極度の疲労を感じ、情緒不安定になったことがきっかけでした。

母の問題に加えて、父は修士課程の授業に出席したり、母を医者の診察に連れて行ったり、サマーバンドを教えたり、思春期の段階にある私と弟たちを連れて行ってくれたりと忙しかったです。

夏の最初の週、父は家族会議を開き、状況を説明しました。

彼は全員に新しい役割を割り当てました。 私は家計を切り盛りするという任務を与えられました。 そのため、友達とプールで遊んだり映画を見に行ったりすることができなくなり、家にこもって家族の料理、掃除、洗濯、母の世話をしました。

夏の計画がこんなふうに変わってしまった理由は理解できましたが、ワクワクはしません。 この新しい体制が始まってからわずか数週間で、一種のピリピリした気持ちとともに、退屈と不満がやってきました。

私は孤独が楽しいタイプです。 普通、夏といえば母は働き、父は兄弟たちと家のことをやるので、私には考えたり、夢を抱いたり、物語を書いたりするための十分な時間がありました。

しかし今年は、母はほとんどの時間を家にいてベッドに座っていました。 父は一日中不在で、兄弟たちは私をイライラさせ、家庭というものが私に迫ってきました。 ある晩、食器を洗っているとき、少しでも自分のための時間を作らないと爆発してしまうかもしれないと思いました。 最後の鍋を戸棚に置いたときに、家族より先に早起きすれば、自分のための時間が取れるのではないかと思いつきました。 ランニングをしたり、運動をしたり、裏庭でただ座ってるだけでもいい。

翌朝、空にはいくつかの星が光り、夜の虫がまだ鳴いているうちに、私はドアから抜け出し、裏のフェンスを越え、森の中に入り、50エーカーほどの敷地を縦横に走る小道を裸足で走りました。 オークとメスキートの木の森。 ハイキングコースの土は、何年にもわたって踏み固められていました。

水面がもたらした希望
Photo by bassresource.com

私は再びゆっくりとしたペースで走り、早朝のレモングレーの光を吸い込み、森のツンとした苔の香りを味わいました。 そして小道は小さな湖で行き止まりとなりました。

霧が青い水の上に漂い、水彩画のような空から数本の太陽光線が降り注いでいました。 水の向こうを見渡すと、まるで神聖な場所である巨大な大聖堂に入ったかのように思えました。

私は湖の端に静かに立ち、このあたりに広がる平和を呼吸し、自分のフラストレーションと十代特有の鬱憤を吐き出しました。 私の中のすべてがクールダウンして、心も体も落ち着きました。

その朝、2つのことが私の目に留まることで、ちょっとした知恵を授かりました。

まず、魚が湖面から昆虫を捕まえ、ガラスのような水面に波紋を作り出しました。 私は、魚の出した波紋がやがて水面の静けさに消えていくのを眺めながら、いま家庭で起きている波紋も受け入れて吸収することができるのではないかと考えました。 きっとできるだろうと思ったことで少し希望が持てました。

2番目に観察したのは、冷たい水につま先を浸したときで、小魚が逃げまどい、湖底の泥や堆積物がかき混ぜられました。 その後、それらが沈殿し、水が再びゆっくりと透明になるのを観察しました。 私がどれだけ汚れをかき混ぜても、水はゆっくりと着実に濁りを浄化していきました。 それはまさに水の働きです。

人生の教訓があるとすれば、それはこれのことです。

私の家庭はかき乱され、混乱していましたが、それに抵抗することなく、物事をゆっくりと自分の中に落とし込み、静かに落ち着くことができました。 このとき私は、水の原理による聖域を見つけた気分でした。

小道のある森と湖は、私がそこに行こうと思えばいつでもそこにありました。 家に帰る前には、毎朝森の中を裸足で走り、湖から昇る朝日を眺め、また忙しい一日を迎える前に考えをまとめられる静かな場所を見つけられたことに感謝しました。 私が必要としていた空想と孤独は、小道の終点にある湖にありました。このまま湖に行き続ければ、厳しい夏を乗り切るために必要な教訓を水が教えてくれるだろうと信じていました。

水面がもたらした希望
Photo by bassresource.com

その朝、家に帰ると、いつもと同じようにお腹を空かせた兄弟たちがいて、鉄のかごがあり、掃除が必要な床がありましたが、私は以前とはまったく変わっていました。 私は今(そしてこれからも)、水という希望を持ち続けています。


ベス・ラハイエの十代のひと夏には大きな経験があったようですね。

私は水辺でそんなで大きな転換点を迎えたことはありません。

十代のころはただなんとなく反抗期で、親の言うことに理由もなく歯向かっているだけでした。

私とは比べ物にならないくらい立派な十代を過ごしたのですね…なんだか恥ずかしい。

ただ、これを読んでみると、なんとなく理解できるといいますか、私には無かったはずの風景みたいなものが浮かんできて、すごく共感してしまうんですよね。

そうなると、私がもし釣りと出会っていなかったらどうなっていたのだろうと考えてしまいます。

釣りは私が理由もなく反抗していた相手である父が教えてくれたものです。

そして、今も釣りを通して出会った方々はみなさん素晴らしい方ばかりです。

私と直接会っていなくても、このブログのこんな最後のところまで読んで下さるあなたもきっと素晴らしい方だと思います。

父や釣りや水辺やみなさまには感謝しかありません。

でもきっと、次の釣りの時にはそんなことは考えず、あっという間に1日が過ぎてしまうのでしょうね(笑)

それでは、また。

毎度ありがとうございます!