【小ネタ】バスタックル・釣具の進化は釣りの楽しみを奪うのか?
こんにちは!店長の小山です!
本日は小ネタになりますが、最近のバスタックル・釣具の進化に自分たちの釣りがどのように影響されていくか、またどのように対応するかについて考えてみたいと思います。
2022に年になった今、最新技術の代表であったライブスコープやアクティブターゲットなど前方魚探ユニットは技術的には最先端でありながら、気持ち的にはもう過去のものとなってきました。
「こんなのはもう釣りじゃない」「こんなのが普及したら、釣りがつまらなくなる」
登場当時のインパクトやその能力についてアレルギー反応を起こすような流れもありましたが、現代のバス釣りをする私たちにとって先端技術を見て見ぬふりなどできず、今は広く受け入れられ、だいぶ落ち着いてきたと思います。
これと似たような流れは引き続き、何かしらの形で繰り返されていくのではないでしょうか。また、その時にとる自分のスタンスはいつも変わるのでしょうか。
生意気なことを言うようですが、釣り道具屋としての現在の私の個人的な意見を語っていきますね。
釣りの歴史
世界的な歴史から見ると、およそ3~4万年前の旧石器時代のころには淡水魚を習慣として食べる文化があったようです。日本でも縄文時代の遺跡から釣り針が発見されていることから、およそ1万年前にはその文化があったようです。
世界中の多くの文明が川のそばから生まれて発展していますが、おそらく、マンモスやシカやウサギを狩って食べるよりも、淡水魚を捕獲して食べる方がコスパが良かったのではないでしょうか。
この時から釣り(または漁)は生き残るための手段として進化が始まっています。
その後の近代史的な流れを見ると、釣りは貴族の遊びという流れが発生して広まった後に庶民に広がり、ルアーフィッシングが誕生すればまたお金持ちたちの娯楽として広まり、それもまた庶民に広がった、そんな感じだと思います。
うちは貴族の家系ではありませんし、私にはその当時の知り合いもいませんし、確かなことは言えませんが、生活のためのものがいつしか商業的な範囲も増えた、多分そんな感じでしょう。
少なくとも今この時点で、「釣りは生き残るための手段だったのに今は遊びになってしまったのか」と嘆いている人はいません。
人々は魚を獲ることの流れの変化(進化)を受け入れていますよね。
人それぞれの釣りとテクノロジー
技術の進歩というのは皮肉にも、戦争に勝つこと(国を守ること)が上流にあるようです。
戦争で使われる軍事技術が、一般に降りてきて活用されるのがこれまでの流れなんですね。
たとえば、電子レンジ、光ファイバー、インターネットがそうですし、バス釣りで馴染みのあるものだとGPSやソナー(魚探)なんかはもろにそれです。
技術とは、使う人によって変わるものです。初めは人殺しを目的として開発、使われていたかもしれませんが、私たちにそのような目的は無く、むしろ人生をよりよく生きるためのものです。
技術や製品そのものに悪いことはありません。
釣りの世界でも同じようなもので、最初は戦争=プロトーナメント(スポーツ)のために最新の技術が採り入れられます。
250馬力以上のエンジン、バスボート、魚探をはじめ、ロッド、リール、ライン、フック…あらゆるタックルが最初は誰かに勝つためのものだったかもしれませんが、いずれ一般的に親しまれていきます。
これはもちろん、釣りだけではありません。
自動車・バイクなどのモータースポーツ、射撃・ハンティング・サバゲーなどのガンスポーツ、乗馬や犬ぞりレースなどの動物スポーツ、さらにサッカー・野球・陸上などの幅広いスポーツまですべて、トップクラスから設備から道具まで最新技術が使われ、それが時間の経過とともに一般的なレベルに降りて行っていますよね。
戦争がプロスポーツという形に変化し、誰かに勝つことで報酬を得るためにテクノロジーが進化し、スポーツのレベルを高めるために多額の費用が掛かっていることに個人的には問題ないと思いますし、驚きません。
しかし、プロとしての釣りをしない一般的なアングラーにとっては、確かに、最新のテクノロジーに依存しすぎるよりは、区別をつけた方がいいかと思います。
レクリエーションフィッシングとテクノロジー
レクリエーションフィッシングとは遊漁のことです。
私たちがバス釣りをするのはほとんどが、釣っても報酬もなく、食べて生き残るためでもない、遊漁だと思います。
私個人的な立場では、多くの方にルアーやワームを紹介し、買っていただくために釣りをするという側面はありますが、もっと一般的な、純粋なものも含んでいます。
それは、自然の美しさや命の大切さを学ぶこと、釣りをすることそのものが楽しいということ、日ごろのストレスを解消し人生を豊かにすることなどがそれです。
そこに、私で言えば販売促進という側面があるように、人によってはメディアプロになりたいとか、SNSで目立ちたいとか、世界記録や自己記録に挑みたいとか、色々な人それぞれの側面が経験として追加され、歴史として絡んでくるのでしょう。
そういった側面まで含めて釣りが楽しいとなったとき、自分に採り入れる最新のテクノロジーがあるのはいいことだと思います。
これはロッドやリール、ラインやフックがそうでしょう。
目的を達成しやすくするため、また楽しさを持続させるために新しい技術を受け入れることは、遊漁に含まれると思います。
これにのめり込み過ぎると、自己破産や家庭崩壊なんかに繋がると思うので、注意しなければならないんですけどね…。
自分にとって釣りとは何か?
最後に、自分とハイテク釣具とどのように線引きをするのか、どのようなスタンスでいればいいのかということになるのですが、これについては多くの方がそれぞれの意思を持つことが重要だと思いますし、その人の結論が正解でいいと思います。
これまでの私の考えですと、テクノロジーというのは言い換えれば、コスト(費用)です。
自分の釣り(のスタイル)にどれくらいのコストをかけられるのか、費用に対する望むほどの効果を見込めるのか(費用対効果)という観点から、テクノロジーを採用するかどうかを決めるしかないと思います。
同じ3万円の予算があったとして、SNSでバズりたいスタンスで釣りをしているのであれば超レアなルアーや編集ソフトに予算をつぎ込むとかでしょうし、釣りが上達したいスタンスであれば新しいロッドやリールまたは道具よりレンタルボート代に使うかもしれませんし、自然と触れ合うのがスタンスであれば上等なフィッシングウェアを購入することで、自分の釣りをアップデートできると思います。
こうして見てみると、釣りを取り巻く最新のテクノロジーは、ありとあらゆる分野において進んでいることが分かりますよね。
自分自身がいずれ何らかの最先端技術を採用するはずですから、どれかひとつの最先端技術を指さして非難するのは、やはりナンセンスと言えるのではないでしょうか。
他人が求める他人の釣りを非難する必要はなく、自分の釣りをアップデートするために予算を割き、先端技術の恩恵を受け、実感することに集中すればいいと思います。
情報が多すぎる現代社会ですので、自分の意思も流されやすく、自分の事すら舵を取るのも大変ですが、テクノロジーに掛けられる費用も人それぞれ。
他人に干渉せず、また他人に気を取られることがなければ、自分の釣り人生は自分なりに豊かになっていくと思います。
今後も新しい技術はどんどん釣り業界に追加されていくと思いますが、自分がなぜ釣りをしているのかを忘れないでください。
自分の予算はみんなが買っているものに使わず、自分の釣りがより充実するもの、コスパのいい(費用対効果の高い)物や事へ使ってください。
私の意見では、最新技術は楽しみを奪うものではなく、自分をより豊かで楽しい方へ導いてくれるもの。
旧石器時代から、人間はコスパのいいものを選ぶという習慣は変わっていないんです、きっと。
それではまた。
毎度ありがとうございます!