ブランドン・レスター:私のバスフィッシングの歴史

ブランドン・レスター:私のバスフィッシングの歴史

Photo by Bassmaster.com

こんにちは!店長の小山です!

本日は海外サイトより、”How I got here”という記事を引用してご紹介いたします。

引用先:bassmaster.com”How I got here”by Brandon Lester October 16, 2018(海外サイトです)

 

私たちがバス釣りを始めて、好きになって、今も続けているのは、もちろん、バスという魚や釣り方に魅力を感じているからなのですが、バス釣りによりのめり込ませてくれている存在に、バスプロの方々がいることがあると思います。

日本で一番強いバスアングラーは誰かということに情熱を燃やすトーナメントプロや、フィールドやテクニックを私たちに教えてくれて、カメラの前できっちりと結果を出すメディアプロという方々です。

トーナメントプロが明かすシークレットテクニックや試合での釣り方などが発表されるとそれを試したくなりますし、メディアプロがカメラの前でロクマルを釣ったルアーは、自分でも釣れるのではないかと思わされ、欲しくなります。

どんなスポーツのプロ選手にも言えることだと思いますが、彼らは、その技術や体力やメンタルが優れているだけでその場にいるわけではないと思います。プロが口にする言葉には重みのようなものがあり、誰かを傷つけないようにする配慮があり、なにより謙虚な方が多いと思います。

そういう姿勢だからこそプロになれるのか、プロになるまでにそういう人間性が磨かれるのか分かりませんが、バスプロの皆さんには釣りが上手なだけでは言い表せない、人間として、釣り人としての魅力があると思います。

この記事は、アメリカのバスマスターサイトの記事で、バスマスターエリートシリーズのプロ、ブランドン・レスター氏が、自身のバスフィッシングの歴史について語ってくれています。

1人のバスフィッシング界のトッププロは、これまでどんな歴史を歩んできたのか、私はとても気になります。

みなさんもぜひ読んでみてください。

 

 気になるところだけ読んでもOKです 

わたしのこれまで:ブランドン・レスター

This past season was my fifth season on the Bassmaster Elite Series. Man what an awesome ride it has been up to this point. I’ve had some up-and-down tournaments, especially this year, but for the most part I’m happy with where my career is at this point. Sure I’d love to have a couple of those blue trophies on my mantle, and I’ve come close a couple times, but I know my time will come sooner or later if I keep putting myself in position.

I’ve met a lot of really great people over the past five years. Meeting fans, and especially kids who love fishing is one of my favorite parts of being a pro angler. I’m 30 years old now, but it seems like yesterday I was carrying a bucket of minnows down a creek bank with this dream of one day becoming a professional angler.

I thought I’d take you guys on a walk with me down memory lane and let’s talk about how I made it to the Elite Series.

I grew up in southern, middle Tennessee, just a short ways from the Alabama state line. Like a lot of kids, I picked up the fishing bug from my dad and my grandfather. We fished mostly creeks, rivers and ponds when I was young, and it wasn’t until my teenage years that I ever fished out of a boat much. We were multi-species fishermen also. We fished for bass, crappie, catfish, bluegill, whatever would bite really.

As a youngster I had the same passion for fishing that I still have today. I wanted to go every day, because I had the desire to learn all the different baits to use and the different ways to catch fish. I know it’s probably hard for people to believe, but in grade school when the teachers asked me what I wanted to be when I grew up, I always told them without missing a beat “a professional fisherman."

At that age I had no way of knowing how the business side worked or what the job consisted of, but I knew I wanted to make a living with a rod and reel.

Jumping into my teenage years, I fished my first bass tournament at 16. It was just a small Friday night wildcat tournament with eight or nine boats in it but we won that tournament, and it made my passion grow even stronger. Soon after, I met a good friend of mine, and we started fishing local tournaments together regularly. We actually even ended up going to the same college, the University of Tennessee Chattanooga, and competed on the bass fishing team there.

I can’t tell you how important the college level was to my career. We never won any national championships, although we did fish in a couple, but it’s where I learned a lot about the business side of fishing such as working for sponsors and getting to know people to make connections.

After college I came back home and went to work at a local plastics factory in my hometown. My plan was to work there, fish every chance I possibly could and start fishing the Bassmaster Opens to try and qualify for the Elite Series. Easy enough right? It certainly wasn’t easy, but I managed to qualify for the Elites in my second year fishing the Opens by finishing first in points for 2013. I quit my job at the plastics factory on Valentine’s Day 2014 and hit the road for the Elite Series soon after. Long story short, here I am now.

Looking back, I’ve had a lot of things go my way, and I feel very blessed that things have worked out the way they have. A lot of people made a lot of sacrifices to help me get here as well and for that I will always be grateful. Honestly I still don’t feel like I’ve “made it” in this sport yet, and I hope I never do because I want that drive to succeed to keep growing stronger and stronger, but I guess I have made it enough to tell my old grade school teachers “I told you so” though.

In all seriousness, if you get a chance to take a kid fishing, do it. This is a great sport that we can all enjoy!

私の5回目のバスマスターエリートシリーズが終わりました。今年はなんとかいい成績を残すことができました。特に今年のトーナメントはアップダウンの激しいものでしたが、全力で取り組み、このポイントを取れたことには満足しています。確かに今年はあの青い優勝トロフィーを2回ほど取り逃したと思っています。あと少しのところでしたが、自分が自分のやることをしていれば、遅かれ早かれ手にすることができると思います。

私はこの5年間でたくさんの本当に素晴らしい人に会いました。集まってくれるファンの方々、特に釣りを愛する子供たちに会うことは、プロアングラーとして私が気に入っている部分の1つです。私は今30歳ですが、プロアングラーを夢見て小川の岸辺に小魚を入れたバケツを運んでいたことを昨日のことのように思い出します。

今回は私がどのような歩みを経て、エリートシリーズに辿り着いたかをお話ししたいと思います。

私はアメリカ南部のアラバマ州の州境からほど近いテネシー州中部で育ちました。他のたくさんの子供と同じように、私は父や祖父からルアーをもらいました。私が幼い頃には川や池での釣りがほとんどで、10代になるまで船で釣ったことはありませんでした。私たちはあらゆる魚を釣る釣り人でもありました。バス、クラッピー、ナマズ、ブルーギル、本当になんでもかんでも釣っていました。

若い頃、私は今と同じ釣りへの情熱を持っていました。さまざまなルアーを使いたかったり、魚を釣るためのさまざまな方法を学びたいという欲求があったため、毎日でも釣りに行きたいと思っていました。皆さんには信じてもらえないかもしれませんが、私が通っていた小学校の先生に私が将来何になりたいかを尋ねられたとき、私はいつも「バスプロになりたい」とためらわずに答えていました。

そのころ私は、ビジネスとしての仕組みなどを知る由もありませんでしたが、ロッドとリールで生活したいと思っていました。

ブランドン・レスター:私のバスフィッシングの歴史

Photo by Bassmaster.com

私は10代になり、16歳で初のバス・トーナメントを釣りました。それはわずか8〜9隻のボートで行われる金曜の夜のワイルドキャット・トーナメントでしたが、そのトーナメントで優勝し、私の情熱はさらに強くなりました。まもなく私は、同じ志を持つ友人と出会い、地元のトーナメントに定期的に出場するようになりました。実に私たちはテネシー州チャタヌーガ大学という同じ大学に行くようになり、そこのバスフィッシングチーム内でさえ競い合うようになりました。

大学のレベルが自分のキャリアにとってどれほど重要かは分かりません。私たちは二人一組で釣りをし、全国大会で優勝したこともありませんでしたが、それでもスポンサーへの働きかけや人とのつながりを知るなど、釣りのビジネス面についてたくさんのことを学んだのです。

大学を卒業すると私は実家に戻り、地元のプラスチック工場で働くことになりました。私の計画では、そこで働きつつ、可能な限り釣りに行って、バスマスターオープンに出場し、エリートシリーズへの資格を得るというものでした。安易な考えだったでしょうか? 確かに簡単なことではありませんでしたが、私は2年目の2013年になんとか年間ポイントで1位になり、エリートの資格を得ることができました。2014年のバレンタインデーにそのプラスチック工場を辞め、すぐにエリートシリーズのために旅に出ました。手短にお話ししましたが、これで現在に至ります。

振り返ってみると、私は多くのことを我がままにやりたいようにやってきました。多くの人が私がここまで来るために多くの犠牲を払って助けてくれました。そのことに私はいつも感謝しています。正直言って、私はまだこのスポーツで成功したとは思っていません。私はもっともっと強くなるために成長し続けることを望んでいるので、そう思いたくないとも言えます。しかし、私の小学校の先生にはきっと「だから言わんこっちゃない」と言われるのでしょうね。

真面目な話、あなたの子供が釣りをしたいというのなら、是非させてあげてください。これは私たちが楽しめる偉大なるスポーツです!

ブランドン・レスター:私のバスフィッシングの歴史

Brandon Lester /Photo by Bassmaster.com


 

ブランドンレスターの歴史、いかがでしたか。

スポーツの世界でトップに立つ方の多くが、小学校の頃にはすでに「プロ選手になる」と決めていることが多いような気がします。

もちろん、そうすればすべてその通りになるほど簡単ではないと思いますが、人生の早い段階でそのスポーツが心底好きになり、その情熱が長い間衰えないというのが、ひとつの才能でもあるのかもしれません。

 

私が小学生の頃は家の近くでバスが釣れるところがなく、当然、バスプロという存在も、釣りが職業になることも分かっていませんでした。

釣りについては釣りキチ三平でおなじみのマンガ家の矢口高雄さんが表紙を書く小学館の「釣り入門」シリーズという本を読み、勉強しました。当時は釣りのテレビ番組も(長野では)ほとんどなく、11PMという子供が見てはいけない深夜番組の中にあるコーナーで服部善郎さんという方が釣りをしていたのを眠気に負けつつ見ていた記憶があります。

服部善郎さんも釣り入門シリーズ内で「釣り名人」として紹介され、コラムを書いており、そこで11PMという番組を知ったのですが、なんと私の小学校の時の文集には、将来は「釣り名人になる」と書いてあるんです(笑)

ついにプロアングラーにはなれませんでしたが、「釣り名人」であればまだ可能性は残されているでしょうか(笑)?

 

ブランドン・レスターとは別の意味になるかもしれませんが、この年で釣りに関わる仕事をさせていただくことで多くの方々に支えられていることへの感謝の気持ちは持っているつもりです。

それを忘れず、釣りに情熱を持つ方々の助けに長くなっていければいいなと思います。

 

それでは、また。

 

毎度ありがとうございます!